電磁波過敏症を乗り越えて相談室アドバイザーへ

さて、今までの私の経験で帯電障害が進むと突然、電磁波過敏症に移行することがわかっています。

電磁波過敏症になると、身の周りの家電製品から発生する、わずかな電磁波にも反応してしまって、とても深刻な状態に陥ります。

ですから、帯電障害の患者さんは、しっかりとアーシングをして、電磁波過敏症に進まないようにしなければなりません。また電磁波過敏症の患者さんはアーシングに加え、より徹底した被爆防止法を講じる必要があります。

私は、現在の電磁波環境では、帯電障害の患者さんを治療するためには、自宅の電磁波環境を調べ、その問題を解決しない限り、真の治療にはならないことを痛感してきました。

そこで、クリニック内に「帯電障害・電磁波過敏症相談室」を立ち上げ、帯電障害の患者さんの問題解決までの支援を行っています。

ここで当クリニックのスタッフ、上村育子を紹介したいと思います。彼女は重度の電磁波過敏症を発症し、さまざまな対処法を一つひとつ自分で確認しながら実践し、現在は症状がかなり改善しています。

その後、彼女は、自身の体験を活かして、一人でも多くの発症者の支援をしたいということで電磁波測定士の資格を取得し、現在は当相談室の専門アドバイザーとして活動しています。

 

彼女の体験をお聞きください。

 

彼女の前職は小学校の先生でした。

上村によると、耳鳴りや、常に身体が熱く感じるなどの自覚症状が出るようになったのは2007年のことで、当時彼女が住んでいたマンションの上に携帯電話の基地局が建った後からでした。

それまで彼女は、頭痛持ちではなかったのに、常に頭痛がするようになり、毎朝のように鼻血が滲んだり、ぶつけてもいないのに指先や足の血管が切れて青くなっていることがよくあったそうです。

 朝起きると、蒲団が汗でびっしょり濡れて、とても疲れやすくなっていたことから、彼女は、更年期症状だと思っていました。

 それから2年後、転勤になって、新しく赴任した職場で、さらに取り巻く状況は悪化しました。

 症状がますます悪化して、体調不良の日々が続いてどんどん痩せ、転勤前と比べて体重が8キロほど減りました。初めのうちは慣れない職場と忙しさのせいだろうと思っていたのが、生徒の名前を覚えることもできないほど記憶力が低下し、家に帰ってからも自分が直前にしたことの記憶がすぐに消え失せるほど、日常生活にも支障をきたすようになってしまったのです。

 やがて、生徒や保護者との関係もうまくいかなくなったことから、休職を余儀なくされました。後でわかったことですが、その学校のあった場所が、携帯電話の基地局やテレビ塔、電力会社の携帯電話の中継塔などに囲まれていたのです。

それからしばらくしたある朝、彼女はものすごい頭痛に襲われ、全身がビリビリしだし、冷蔵庫や洗濯機、テレビにパソコンなどの家電製品が触れられなくなり、ブレーカーを落さないと生活できなくなって、パニック状態に陥ったと言います。

 彼女は、送電線の下を車で通るたびに強烈な頭痛がしていたことから、「電磁波が原因では?」と気づき、図書館などで電磁波関連の書物を片っ端から調べた結果、自分が電磁波過敏症であることを初めて知ったのです。

 それ以降は、自分なりに電磁波対策を講じ、毎日こまめにアースをするように心がけ、なんとか職場に復帰したのですが、校内で電磁波シールド用のグッズをかぶったりしていた様が周囲から奇妙な姿に映るなどして、電磁波過敏症に対する理解も得られず、結局退職することになったそうです。

 彼女が響きの杜クリニックに来たのは、それから間もなくの頃でした。

アースシートを体験した上村は、短時間での放電効果を実感し、常にアースシートを持ち歩くようになりました。またクリニックの気功教室やプラセンタ注射で体調はかなり回復しました。しかし普段の生活では、相変わらず強い電磁波を敏感に察知する状態は続いています。

そして、自らの体験を踏まえて、なんとか子供たちの電磁波による健康被害をくい止めたいとの一心で、生活クラブなどでの講演や電磁波アレルギーに関する小冊子を作って各所に配布するなど、さまざまな活動を続けています。